人生が楽になる死生観

新年ですね。

新年一発メルマガでも書くかと、座りましたが
もう10分以上書けていません、、、ので

書けていない、よ、俺って
ところから書き始めますね(笑)

 

ということで
新年おめでとうございます。

これが松のうちまで続くんだよな。
新年ってなんでおめでたいんだろう、って

子供の頃からずっと思っていて
今も解決していない。

 

しかもですよ、、、

(その)信仰のないヨーロッパ由来の暦での
新年になにがそんなにめでたいのか?

今でも答えはでていません。

 

そんな、年をまたいだ本年から昨年を
振り返ると、、、

昨年は5カ国の国と地域に旅行しましたが
すべてひとり旅行です。

と、お、少し筆が進んできましたよ。

 

そう、つねに、ほとんどの人に驚かれます。

え、家族は?
え、奥さんは?
え、子供は?

ある知り合いには、

旅行ってそこで
みたもの、食べたもの、感じたことを
シェアできることが喜びなのに

なにが嬉しいのか、
なぜ、一人なのか?

と意味不明~ な顔で聞かれました。

 

僕からすれば、
なぜそんなに自分以外の他者といたがるのか、、、
反応的には思いましたが
ワンテンポおいて、考えました。

そうそう、そうだよね。

いたがる理由はわかるし共感もできる。

その喜びもわかるし、
たくさん経験してきました。

 

でも、今、いえ、昔から、旅行だけでなく

一人の時間を味わい噛みしめるよろこびは
他者とともにいることで得られるよろこびに
勝ります。

 

と、なんだか目的もなく書き始めた文章の方向性が決まりました。

僕の死生観、輪廻転生観、人間観について
お話しましょう。

まぁ年のはじめですし
仕事となんの関係もなくてもいいですね。(笑)

 

書きながら思い出したのは
こんなお話

子供ができない友人ってお話です。

 

もう、今の年齢になれば
なくなりましたが
もう少し、青年期には

同級生で子供が「まだ」の彼らと
彼らが「まだ」なことついて話すことが
まぁまぁありました。

そのころはまだ年齢的にも

「やってる回数は?」
「ちゃんと一緒に寝てる?」
「そもそも回数が少ない」とか

茶化し半分ですね。

 

そこから少し、時間がくだり、
「もう」できないくらいの年齢に
なった時にはその彼らではないですが

同様の彼、彼女にあって
みんな子供の話で与太話に
なるなか、「あ、お子さんは?」の
あと、いないことがわかると
「あ、そうなんですね」で。

もう、微妙な年齢の頃ですね。

 

そんなことが何回もあった中

たまたま同級生で気心もしれている
子供がいない彼に
僕が若い頃から持っていた
考えを話しましたら
いたく、感激されました。

それはこんな話です。

 

テレビで昔々、ビックダディって
ありましたよね。

子供が10人?

精力旺盛、働いて働いて
また、やってまた、子供できて…という
現代だからTVネタになりました。

 

でも

今よりもすこし昔々の日本や
現代でも新興国がそうですが

子だくさんの「ステージ」を通りますよね。
そして、少子化していく。

そんなふうに客観的に俯瞰して
見られますよね?

テレビも客観的にひとごとですよね?

 

でも、、、、、
でもですよ、、、。

僕ら個々人は一度限りの人生なので

子供が少ない人生とか
多い人生とか
いない人生とか
歩めないじゃないですか?

 

子だくさんって、そりゃ大変。
僕は一人ひとりが離れていたので
そこまでではなかったですが

近い年齢の子どもが2人とか3人とか
想像を絶します。

 

僕は昼間にプラプラしているので
夕方とかに見るそのお母さんのそばには
お父さんはいなくて、

電チャリ前一人、後ろ一人
背中に一人… 唖然、、、。

&nbsp

  …

    …

ってくらい。

そういうお母さんを見て
人ごとではなく、毎回本当に
大変だな、としみじみ実感します。

 

で、がんばれ~ って。
がんばれ、、、、、がんばれ~

で、

そこにいない、お父さんにも
頑張れ~
エールを送ってしまいます。

ほんと、書いていてもなんか
涙がでてきちゃいます。

 

で、話を戻しますね。

で、いつ思ったか、確立したか
もう、覚えていませんが

僕はこう理解していたんです。
意味付けとも言えます。

 

子だくさんて、もうそりゃ、子供のことで
せいいっぱいですよね。

そうそう、
そうだ。

この考えを決定づけたのは
書いていて思い出しました。

長女の夏のキャンプのときです。
多分、小学校1年。

夏前からいろいろ準備して
当日は、飯当番です。

2泊3日、毎回、毎時間
ずっと飯の準備でした。

 

でね、おもったんです。

こりゃ、子供が多い家はたいへんだわ、って。
毎日これだ、って。

その時は娘一人ですよ、共働きで。

 

で、そのころ考え抜いてたどり着いたのでしょうね。
当時の僕なりの不整合のない決着に。

高校の頃から新興宗教に入信して
生き方とか人生とか、
精神性を高めたいとか
どう人生を修養するといいのかとか
模索し続けてきた自分には

「そうか」と。

 

子供が多い人生に生まれると
「他者」のことに向き合い続けて
人生の大半を過ごすのだなって。

自分のことなんて考えている暇ないよな

 

もう一回
何回でも書きたいこと。

自分のことなんて考えている暇ないよな

 

たとえば7人の子供が、とかならば
一番上から下まで20年なんてざらでしょ?

60代メイビー子育て
= あ、僕いまその状態です。(笑)

 

で、その人生を完了すると
= あ、死ぬと、ってことですね。

次、多分、3,4人とかの子供の数の
人生を送る。

ここに輪廻転生観が。

 

前世の記憶はないけど、前世で確認できなかった
その「今生」の課題をやっつける。
前世よりも少ない子供の人数で。

ゲームの面クリみたいなものですね。
(やらない人は誰かに聞いて)

そして、次が、2人、1人と
人生から子供が減っていくんです。

 

そこも面クリすると
次が夫婦のみ。

クリアできない課題は何回か
生まれ変わる、夫婦のみ人生。

年の差とか、再婚とか、いろいろ。

そして、ようやく、
一人の人生

 

だから、僕はあと、最低3,4回生まれ変わらないと
= ゲームをやらないと

そこを体験できない。
多分。

 

で、なにがポイントかって言うと、
子供やら夫婦やらの「他者」がずっと
そばにい続けたら

自分の内面とか自分に向かう時間なんて
少ないじゃないですか。

もう一回書きますが

 

自分のことなんて考えている暇ない

  VS

自分のことを考える暇しかない人生

 

たとえば今、人口に対して
引きこもりも含めて
結婚しない男女が増えて
シェアハウスみたいな在り方も増えている。

そういうひとは、

自分のことを考える暇しかない人生
なんです。

で、これがふえている。
それってどういうこと?

 

で、僕は意味づけしたのは

生涯を一人の時間を過ごす人生のほうが
面クリを繰り返してきて到達した
ハイレベルな人生なわけです。

 

自分のことを考える暇しかない人生

は、かなり、いけているんです。
もう、面クリしまくって
今回、ここに来ているんですから。

こどもが3人の僕とか
いつ、そこにたどり着けるやら(笑)

で、そこ(一人人生ね)で
課題を何回か完了すると
もう、生まれ変わらない。

 

解脱でも天国でも天使でも、
なんでもいいです。

では、人生でどうやってレベルを
上げていくのか?

この人生に出された課題はローレべほど
他者という鏡によって見る。

※(大会社の社長とか国の王とかは
 違うゲームで参戦しています。
 多分、ゲーム参加資格がめちゃ高い)

 

他者は鏡、ですので
精神やらなんやらを高めていく
修養していく。

生涯1人、未婚の人生は他者を見ずに内面を見て、
精神やらなんやらを高め修養していく。

そのほうが「鏡」という投影がないので
よりハイレベル、なんだと。

 

あらためて書きますが
全部僕が意味づけしたことです。

僕の人生への意味付け。
あなたにあてはまるか腑に落ちるかは
ご自身で。

 

その観点から考えると
「他者と喜びを分かち合う」とは

他者を通さないと
喜び自体や喜びの種類に気が付けない

人生レベルである、と。

 

だから、僕は

いまだに、10年に1回、
子供がやってきて、
僕が何らかに気付く役回りを
演じに来てくれてます。

なんと、それが、一般論でいうと
~ 下の子が22歳、大卒までとして
約70歳くらいまで続くわけですよ(笑)

もう、笑うしか無い。(笑)

 

なので?だから?でも?
そういうわけで?

僕は、一人の時間に
高付加価値を置いていて
旅行やら、仕事やら、なんにしても
人生から他者を排除はしませんが

選べるのならば

一人で対峙することを
選択的に積極的に
やってきたのだ
と、、、
意味づけしています。

そして、これからもそれは変わらないと
こう書いていて実感しています。

 


みなまで言うなですが、

先の友人は、
長年こどもが「今」そこにいない事実
に対して世間のレッテルやラベルや
価値観に対して過ごしてきた時間は

ほんの数時間の呑み会では
わかるべくもありません。

 

お酒も少し入っていたので
ここまで書いてきた話と意味を話したら
ストーンと落ちたそうです。

そうだったのか、と。

 

てことで、まとめ。

僕の周りにいる比較的子だくさんの
人生、生まれ変わりが
まだまだ、まだまだ(笑)のあなた。

自分よりお子さんの少ない同年代の
方をみたら、

「お、俺より(私より)人生ハイレベか(笑)」

と、俺も私も今生がんばろう、と(笑)

 

また、逆に

自分よりもお子さんが多い。
子供が多いということは

そのぶん累積的に課題も多い

そんな方をみたら

お、頑張れよ、と(笑)

 

どんな喜びの人生も
ちょっと大変な人生も
すんごい大変な人生も

全部、面クリのためのステージ内の
ダンジョンみたいなものです。

それ自体をクリアする悦び、歓び(ここだけ漢字)を
実感するためなのですから。

 

※注:あ、読解力が弱めの方

さらっとスクロールしてうわべで読んで

子供が多い 子供が少ない
上下、よし、悪し、みたいに
考えないでくださいね。

もし、そう思ったとしたら
それは、読解力と思考力が弱いって
ことなので、

(笑)でクスリと笑えるまで読み返してください。

こんな、変な話、適当に流せばいいです。
ただ、こんなふうに考えると生きるのが楽だなって
話ですので、、、。

 

さてと、最後に、、、、、、
強引に(でも、ほんとうなので)仕事につなげると

なぜ、あなたが「一人型」を志向するのか
一人型に惹かれるのか

 

それは
おそらく、おそらく、

他者を通さないと
喜び自体や喜びの種類に気が付けない

種類のヨロコビ

VS

そうではない種類の
「自分のことを考える暇しかない人生」

を求めて(今1人でないなら今生無理ですが)
自分に向き合い続けたいから
だからあなたは1人型を志向するのだと僕は思います。

 

合宿で向き合うとか
たまに喫茶店で向き合うとか
どんなのでも、いいです。

どんな向き合い方でもいいです。

成り行きの人生だと

他者を通さないと
喜び自体や喜びの種類に気が付けない

だけで終わってしまいます。

ぜひ。

 

にしだ拝

新年 げきてん(激天気がいいの略)の
横浜から

7step