飽きることとスピード狂 2014/07/16
こんにちは 西田です。
外が熱射です、、、、ご飯をたべて
事務所に戻ると汗が・・・。
もう地域の市民プールも先週の土曜日に
オープンしているし夏が来ました。
夏は夏時間で、なるべく早めに仕事を終わらせて
早い時間からうちでゆっくりしたいものです。
さて、
ぼくら人間は大概のことに飽きます。
飽きることで、
次への好奇心の入る場所ができるのか
新しいことが入ってきたから飽きるのか
順番は定かではありませんが、
とにもかくにも飽きる。
飽きるのは悪いことか?
飽きてはいけないのか?
飽きないように努力するべきなのか?
この話題は、以前にも
メルマガで取り上げたことがありますが
僕は飽きたところからが始まりだと思っています。
飽きて終わるもあり
飽きて、飽きないように努力するのもよし
対象によっては対処方法は色々でしょう。
ただ、僕が思っているのは。
飽きてなお、その対象そのものへの興味自体は
消失しないモノがあると言うこと。
起業のサポートとか起業のコンサルティングとか
起業のセミナーとか、起業の・・・とか
何回も何十回もやっている
場合によっては100を越えて取り組んでいると、
そりゃ個々の企画、行為としては飽きます。
でも、思うのです
歌舞伎役者とか落語とかクラシックの奏者とかは
基本の古典に、
忠実に忠実に体にたたき込む。
飽きたことありませんかと聞けば
(聞いたこともそういうインタビューも見たこと無いが)
多分?飽きたことはあるよ、、、と言うんじゃないかな、と。
で、中には
歌舞伎そのもの落語そのもの
音楽そのものを根本的に飽きて
やめてしまう人もいるんじゃないでしょうか。
しかし、一方で
飽きていてもやめない人がいるのも事実。
なにが違うんでしょう?
違いは、探究心や疑問、向上心だと思います。
「飽きた」は悪くないんです。
ただ、どんなジャンルであっても
がんばってがんばっていい状態に上り詰めたときに
自信が過信になり慢心になり、
何かを怠るときが来る、たいていは来る(笑)
たいていは。
そういうときは探究心・疑問・向上心などが
開店休業になるから飽きる、と感じると思うのです。
で、もう一度言いますと・・・
飽きるのは悪くない、
それは次へのステージのサインで
飽きるほどに探求し続けてきた証とも言えます。
これは僕の夢セミナーにある夢実現の5段階にも当てはまります。
1.ピンク色・オレンジ色の妄想的な夢 ワクワク
2.現実を知る 夢屁の距離を知り、「!」決断する
3.コツコツと夢に向かう、向かえども向かえども、近づかない
4.ある日、あ、もう達成するなと自分だけはわかる、実感する。
5.次の夢を設定しないと、達成してしまい空虚に凪に、なる。
この4番の、、、
「この夢、もう叶いそう、、、」 を感じたら
すぐさま1に戻って夢の種を見つけないと、
五番目のステージになります。
凪に入ってしまい、
脳は思考停止状態
感情も動くこと無くて・・・
空虚
1に戻って、次のステージを進み出すのがいいのですが
達成はしたけど飽きて、
次のステージに進まない程度の対象もあります。
それは、人生で大事なことでは無いから
捨ててしまっていいぞ、というサインですね。
飽きる程度のことに関わっている時間は無い!ってね、
僕は本質的な意味で、
1人型経営とか
凡人の凡人による凡人のための成功法則作りとか
は飽きたことがありません。
都度都度の小さなステージでは飽きることもありましたが
根本的に飽きることが無い。
それは、その他大勢の、飽きたことを捨ててきたからですし、
飽きるという感覚を知っているからでもあります。
で、これは書き出すと
もう一通か二通メルマガを書きたいくらいの
内容なのですが・・・簡単にまとめる
日常の中の小さな瞬間に
人生を投影した幸せな瞬間があるのですが
そういう日常に多幸感を感じられないと
自動車で言えばスピード狂
外部刺激が無いと、ぬるくて飽きてしまう
なんて感じるようになりがちです。
物語で
レスキュー隊員や戦争で戦う傭兵が
事故や戦争・戦場が無いと生き甲斐を感じない、、
なんていうのとそう変わりありません
そうではなくて、日常の中にこそ、
飽きない何かを発見する自分になっていかないと
なんでもかんでもすぐ飽きるのですね。
小さな何かに飽きない発見をできる自分
×
根本的に飽きない何かの対象
これが至福最高だと思います。
▼
一応(笑)ビジネスのメルマガなので
ビジネス的にまとめますと・・・
そんなジャンルを持ったら
だれも追随出来ませんから
一生、至福 × 儲かる です。
そりゃ、あたりまえです。
ビジネスの神様はほほえみますし
お客様にも喜んでもらえるはずですから・・・。
なげぇよ!!(笑)
m(..)m
てことで、今日はここまでです。
にしだ拝