リア充?

こんにちは 西田です。

週末に奥さんと散歩しているときのこと、、、
幸せだね〜という言葉が何気なく、、。

なにがどうこうだから幸せだね、ではなく
ぽろりと出たのですね。

別にのろけ、とかではなく、
幸せ、というのは普通にそこにあるものだ、っていう
言い古された当たりまえの話です。

自分の目耳に入るモノは、

直接
間接
バーチャル

の三重の輪で体験し、それが人生を構成しています。

どんなバーチャルのことでも
人から耳に入る噂話でも
立ち話が耳に飛び込んでこようとも
ツタヤでたまたま流れているPVも

ましてや、

自分で選び取ったDVD・映画・本・マンガ・雑誌
FBみていて、次々にリンクしていて見たページや
ブログやニュースサイトの内容でも、、、

すべて、

自分の内側のプログラムが引きよせて
それを見たいから見ている。

もちろん直接起きる出来事なんて
完全に自分の内側のプログラムの現出です。

お金とか、戦略とか商品開発とか
マーケティングとかセミナーとか集客とか
どうのこうのどうのこうの、、、、、

僕が見たいから見ていて、
目に入っちゃうのですが

それをしていて

充実しているのか?
充実感はあるのか

そして、大事な視点があって・・・

その充実は「誰」が、「そうしたら充実するよ」と言ったから
感じている充実「感」なのか?

誰がそのまやかしを充実感と定義したのか?

語感と背後にある「本当のこと」はたいてい
言葉が言い表しています。

「高級」と
「高級感」とは違います。

高級なモノと
高級感のあるモノは別物で
それは安いからこそ「高級感」が必要。

高級なモノに高級感とは使いません。

充実している時は、、、

えてしてうお、充実している!なんて言いません。
充実感があると言うときは、不十分な時が多いです。

ふだんどんな言葉で、
「充実」がこぼれていますか?

そうそう、だからあんなアホな言葉が出来るんですね。

リア充・・・そこにはシニカルな響きがありますよね。

うそリア充、リア充演出家、リア充実もどきにならなように
気をつけたいものです。

そんなときは、「絶対」
幸せだね〜なんて言葉でませんので・・・ね。

                      にしだ拝