成功しているっ「ぽい」人って金太郎飴だよね

 こんにちは 西田です。
 
 昨日は、10年前から色々なところでニアミス的に
 「この業界」(どの?(笑))でお仕事をしている方と
 お話ししていたのですが、年代的におもしろいお話しが一杯。

 さぁ、今日も、一杯上げましたよ、動画。

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 で、今日も、、、、、、長いです m(..)m 
 時間のあるときに、でも一緒に考えてみてくださいませ。
 
 ▼

 今日は、ある種の成功をした人は
 なんで、似ているのか?って話です。

 似てますよね、みんな。
 金太郎飴ですよね?

 なんで、筋トレをして、
 ワインを飲み、
 セレブっぽい?ところに住み、
 ビジネスクラスに載り、
 本は古典や歴史を読み、
 なんだかおしゃれな感じになっていき、
 車に興味ある人はそういう車に乗り、
 財布の様相が似ていたり
 東南アジアに移住したり
 旅行者であったり
 神社仏閣だったり
 坂本龍馬や吉田松蔭とか明治に偉人に心酔したり
 婦女子に浮き足立ち、
 持ち物は、ある種似たり寄ったりに
 生活スタイルで主張することも似たり寄ったり
 ビジネスの成功のための禁じ手も似たり寄ったり

 あんなに似ていて恥ずかしくないのかな、って
 思ったりするんです。

 てか、
 僕が恥ずかしいから、
 (僕、西田が成功したかどうか?とかおいておいて、価値観的に)
 
 人様はどうなのかな、恥ずかしいって思わないのかなって
 素朴に思うんです。

 書けばキリが無いのですが、、、

 そういう「感じ」のどれかの組み合わせで
 成功したっぽい生活をしていますね。

 つまんないなぁ、とさえ、思うことがしばしばあります。
 あ、おんなじやん、、、、、って。

 あぁ、つまらん、もっとおもしろい人いないかな、って。
 いえ、すみません。なんか偉そうかもしれません、、、が
 しょうがないです、感じているんですから。
 

 上記の有名な言葉から考えると
 
 僕は不思議でしょうが無いんです。
 まだ、答えがありません。

 ただ、すこし分かっていることは

 「体験し尽くすまでは体験したい」という
 ニーズ・ウォンツが強いのかな、と。

 話が長くなってしまうのですが
 お許しください、良かったらゆっくり読んでくださいね。

 ▼

 「体験しないと分からない」と言う言葉も分かるのですが
 
 体験しなくても分かることの方が圧倒的に多いし
 そちらの方が、じつは人生を豊かにするような気がしているのです。
 
 体験で培った豊かさを越えて。

 歴史は体験出来ないし、
 行ききれない他国は
 体験出来る他国よりも多いでしょう、普通人は。

 国レベルではなく、土地、場所でいえば、
 文句なく行けないところが圧倒的に多い。

 土地場所での喩えに過ぎませんが
 すべてに通じることです。
 衣食住、趣味、享楽、等々の体験すべて

 体験できること<体験できないこと

 成功した感じの人達の
 生活スタイルが金太郎飴っぽくなる原因

 「体験優位」な価値観からかなぁ、と
 今は推察しています。

 で、

 これも僕らは知っていることなのです、、、。

 極めた人はじつは、もう、

 「そういう生活」を全くしていないケースも
 良く目にして、耳にします。
 
 服も野暮、住んでいるところも野暮、
 仕草も野暮、あれもこれも野暮、なんていう、、、
 あれもこれもしていない、やっていない。

 これもある意味結果的に
 「到達する金太郎飴」なんですが、、、、

 で、その時間軸に埋め込まれた

 「体験優位という金太郎飴」は

 自分以外の誰かが作った価値観にはめ込まれて、
 そうすることが、「そうである」と言う鋳型に
 動かされているだけだよなぁって思ったりもします。

 で、

 体験した後で、

「あ〜自分の価値観では無かった」な、と
 体験金太郎飴スパイラルから脱していくんじゃなかろうか、と。

 であれば、そもそも、体験出来ないことの方が圧倒的に多いのなら

 体験の種類を増やす戦略を取りやめて、
 体験の種類を極小化する戦略家がいいのでは無いかな、

 って思っています。

 体験してみないと判断出来ない、とか
 わからないっていうのは、
 そういう文化圏の洗脳だと、、、。

 脳内で生きる方が、
 おそらく無限の体験をできると思うのです。
 
 五感で体験してしまえばしまうほど、
 脳内で体験する力が衰える、もしくは全く鍛えられない、って
 五感は鈍感だ、と誰でも知っていると思うんですよね。
 
 そう思うのです。

 なら、鋭敏な内側の感覚を磨いた方が、
 生涯で、「脳」が体験することは圧倒的に多くなる。

 それが豊かさ、ではないか、そう思うのですが
 いかがでしょうか? 

 いかがでしょうも何も無いですね。
 単なる僕の考えの吐き出しでした(笑)
 
 「体験する」は、仕事のための投資と思えば
 まぁ、いいかな、って思っています。

 個人の時間に関しては、
 
 五感では体験しない、
 脳で体験しようと努力し続ける、でしょうか。

 最後に、

 子供が読んでいる本にこんなことが書いてありました。
 
 奴隷制を維持したければどれに読み書きなど教えてはいけない。

 読み書きは、文字を通じての脳内の体験を増やします。
 体験は文盲でもできます。

 はて、、、。

 お金を稼いでいますが、 
 プラグマティズムなアメリカ式な
 
 お金 → 体験ループにははまりたくないなぁ、
 だって体験させることからしか
 お金を儲けられない、というのが
 金儲けの本質じゃ無いですか。

 だって、みんな体験出来るモノしか
 価値を判断できないから、体験を売る。(はあ、)

 上記に例を挙げたそれぞれを
 たいていの人が体験してからいく向こう側に、
 最初からいく、そんなのがいいなぁって
 心底思っている、そんな考えのメルマガでした。

 にしだ拝

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